ジョブメディア

企業の評判や採用、サービスなど、知りたい情報を独自調査した記事をお届けします。

オリエンタルホールディングス 尾崎友俐(尾崎ゆり)さん 起業家の原点は子供の頃に!

はじめに

自社グループの飲食店経営のほか、経営コンサルティング、企業や商品、サービスの各種プロモーション、ブランドプロデュース、飲食店のプロデュース、さらには女性のライフスタイル改革を支援するための異業種交流会や起業塾を運営するなど、幅広い分野の事業を手がけているオリエンタルホールディングスです。

オリエンタルホールディングスの経営トップに立っているのが、今回のジョブメディアでご紹介する尾崎友俐さんです。尾崎友俐さんのお名前を聞いたことがある、覚えている、そういう方も多いのではないでしょうか。そうです。尾崎友俐さんは日本テレビで放送されていた人気の投資バラエティー番組「マネーの虎」の「飲食の虎」でレギュラー出演されていました。

今回の取材では尾崎友俐さんが起業家となる原点が子供の頃にあったというお話を聞くことができました。

尾崎友俐さんとオリエンタルホールディングス

尾崎友俐/尾崎ゆり

尾崎友俐/尾崎ゆり

今回、ご紹介するのは尾崎友俐さん、そして尾崎友俐さん代表取締役を務める株式会社オリエンタルホールディングスです。

尾崎友俐さんがオリエンタルホールディングスの前身の会社を設立したのは旅先のエジプトで出会った有名な銘柄の「STELLA」を輸入・販売したかったからだといいます。エジプトはビール発祥の地です。

バックパッカーとして世界中を旅していた尾崎友俐さんは訪れていたエジプトで、「ピラミッド建造時、パンとニンニクとビールが労働の対価だった」という話を聞きます。ピラミットが建造された時代からエジプトにはビールがあったのです。「この素晴らしい歴史のあるエジプトのビールを日本に広めたい!」、そういう思いから、ビールの輸入会社を立ち上げたいと思ったのだそうです。

しかし、ビールを輸入し、販売するためには酒類販売許可免許が必要であり、免許を取るためには2期連続の黒字決算が必要です。そこで、尾崎友俐さんはオリエンタルホールディングスの前身の会社を1995年に設立します。そこで行ったのはエジプトのビールではなく、エジプトの無農薬上質ハーブの輸入、そして炭火焼肉店の経営でした。

この起業はどちらも尾崎友俐さんの「エジプトのビールを輸入し、日本で広める」という夢の実現に必要なことでした。エジプトからハーブを輸入したことでビールのインポーターになるためのノウハウなどを得られたからです。そして、1998年、尾崎友俐さんはビール発祥地、エジプトから「STELLA」の輸入を開始することになります。

事業の全てが順調だった訳ではありません。2001年には狂牛病が発生し、社会問題になります。この時には企業による牛肉偽装事件の発生も相次ぎ、畜産業や精肉店といった食肉関連産業、食品加工業、さらには外食産業、スーパーマーケットなどの流通業、そして一般消費者までも巻き込み、食の安全が問われました。

狂牛病問題の影響は何の罪もない尾崎友俐さんの炭火焼肉店にも襲いかかってきました。焼肉店の経営が困難に追い込まれていきます。しかし、そこで尾崎友俐さんは3日間という非常に短い日数で焼肉店を焼き鳥店などへ業態変換します。この尾崎友俐さんの迅速で大胆な決断は経営判断を行う成功例として、多くのメディアで紹介されました。

その後、尾崎友俐さんは事業を拡大していき、女性起業塾や異業種交流会を立ち上げるなど、女性起業家の後継者育成にも取り組まれています。また、尾崎友俐さんは無料有料の会員合計が約5万人という団体、一般財団法人日本ファスティング協会の理事長にも就任。会員の方々とダイエットや体質改善に向き合っておられるそうです。

現在のオリエンタルホールディングス

2022年1月、尾崎友俐さんが経営されているオリエンタルホールディングスがドバイに支店を開設。経営コンサルタント、健康と食品のコンサルタント、そして旅行観光業のコンサルタントといったライセンスを取得しています。

ドバイはアラブ首長国連邦を構成する7カ国の首長国の一つ。アラビア半島ペルシア湾に面した、中東地域の真ん中にあります。きれいな海に美しい砂浜、巨大ショッピングセンター、そして世界一高い超高層ビルのブルジュハリファなど、観光地としてのドバイに注目が高まっています。尾崎友俐さん、そして、オリエンタルホールディングスにはドバイと日本を繋ぐ架け橋としての役割に期待が高まっているといえるでしょう。

また、オリエンタルホールディングスは直営飲食店の経営や健康食品などの製造・販売も手がけています。

オリエンタルホールディングスが沖縄で経営しているしゃぶしゃぶ店、ステーキ店などの飲食店は、個性あふれる高級な空間を創り、世界中から訪れるVIP客が満足出来る様、厳選の食材を提供する特別な店として知られており、世界各地からの顧客が毎年訪れる名店です。

またオリエンタルホールディングスは高品質の酵素ドリンクをOEMで製造・販売しています。この酵素ドリンクは沖縄原産の材料を主原料とし、1ヶ月以上も発酵させる最上級品として製造されているそうです。

さて、その尾崎友俐さんにお話をうかがうことができました。

尾崎友俐さんに直撃

尾崎友俐/尾崎ゆり

尾崎友俐/尾崎ゆり

オリエンタルホールディングスを率いる尾崎友俐さんに学生時代のことなどをうかがいました。

尾崎友俐さんの子供のころはどんなお子さんだったのでしょうか

尾崎友俐さん「2つ下の弟がいるのですが、弟というものは私にとって”完全な子分”だと思っていました。そして、私はいつもお山の大将になっていたと記憶しています」

-印象に残っている幼少期のエピソードはありますか

尾崎友俐さん「おぼっちゃま、お嬢ちゃまであった両親の元に生まれたので、所謂お受験を小学校入学からさせられました。でも、都内屈指の有名私立小学校のお受験にはことごとく失敗しました。なぜなら、元気いっぱい過ぎたからと、先生の言うことを聞かない子だったからではと思います」

-元気いっぱい過ぎと言いますと

尾崎友俐さん「入学試験の中で、虎や象の絵が壁に貼ってあり、それを的にバスケットボールを当てる、という適正検査がありました。他の子たちは次々にその虎や象などの絵に向かってボールを投げつけました。私はといえば、虎や象やキリンなどの動物たちを的にして、ボールを当てると言ったことにどうしても抵抗を感じ、壁に貼ってあったその紙を剥がしてしまったのです」

-それでは検査にならないですよね

尾崎友俐さん「現代なら多様性や子供を尊重する流れなどもありますから学校側の対処も違ってくるとは思います。しかし、当時は右向け右、先生の言うことに従順な子が評価されていた時代でした。子供の個性は必要なく、どちらかというと個性は蓋で抑えて、“みんな揃っておんなじ”という教育が行われていていた時代だとも言えますよね」

-ところでその尾崎友俐さんの行為は反抗心からだったのでしょうか

尾崎友俐さん「反抗心ではなかったのです。動物が好きで的にすることができなかったのです。その自分の意見を主張するための行為だったと思うのです。こういう子供だったので、両親や先生は手を焼いていたかもしれませんね」

-子供の頃の尾崎友俐さんについてもっと聞かせていただけませんか

尾崎友俐さん「周りの子たちからは冒険好きだと思われていたようです。毎日数キロ歩いて冒険していましたし。隣町のプールに行くとか、知らない街の公園に行くとか、川に行くとか、知らない事を知りたいという好奇心で一杯の子でしたよ」

-ご両親は知っていらっしゃったんですよね

尾崎友俐さん「ピアノや学習塾などに通わされていのですが、実はいつも嘘を言ってさぼっていました。決められた時間に決められた場所にいくということが本当に嫌で嫌でたまらなかったんです」

-その様子だと学校でも色々あったのでは

尾崎友俐さん「ありましたね。学校ではクラス委員が先生の言いつけを守ってクラス内の監視をするようなことが多々あったんですが、ことごとく反抗していました。その多くが間違っていることだと思ったからです。間違っていると思うなら、間違っている、と声に出さなきゃって思ったんです。そういう子供でしたから、損をすることも多かったと思います。でも損を損だと思いませんでした。信念を曲げる方が苦痛だったんです」

-子供の頃に関心があったのはどんなことですか

尾崎友俐さん「親からの独立でした。親の庇護のもとに居る限り、自由が手に入らないって思っていましたから。今はすっかり自分の人生を楽しく歩んでいる両親ですが、当時は自分たちの理想を押し付けてきました。世間体を気にして、私をお嬢様に育てたいとがんじがらめに縛り付けていたんです。でも、そういう道を歩みませんでした」

-それでは目指す将来の職業もやっぱり違いますよね、お嬢様とは

尾崎友俐さん「当時の友人たちはこぞって“医者になりたい”とか”消防士になりたい”とか “学校の先生になりたい”、それから、“お嫁さんになりたい!”っていうのもあったり。目の前にある職業に対して“なりたい”と言っていたんですよね、みんな。でも、私にはそれに対して抵抗感がありました。目の前に転がっている職種のどれかに自分を当てはめなければならないのか!?と、自問自答する日々でした。しかし、その時は答えが全く見つかりませんでした・漠然とですが、誰かに雇われるのは嫌だと思っていました。枠の中に閉じ込められたくない、そういう恐怖心がありました」    

-しかし、その頃に感じてきたことは間違っていなかったから今の尾崎友俐さんがあるといえるのでは

尾崎友俐さん「今回、取材していただき、子供の頃を思い出してみる機会に恵まれたわけですが、あらためて振り返ってみると、子供の頃の自分の感性は間違っていなかったのだと確信が持てました。その一方で、羽ばたき足りないのでは?とも感じました。色々と違和感を感じつつも、社会に合わせて生きてしまったのだなと。もっと自由に羽ばたいていたのなら、いったいどんな人生を歩んでいたのだろうと思いました。日本の教育というものはいかに社会に合わせる人材を育てているかということが確信できました。もしも過去の自分に戻ってやり直せるのなら、義務教育を受けずに自由に生きていたら、一体どうなっていただろうと思いました」

まとめ

尾崎友俐さんにお話をうかがいました。尾崎友俐さんは16歳でバイクの免許を取り、東京から岡山や島根や北海道をはじめ、全国をバイクで駆け巡ったそうです。尾崎友俐さんの旅はその後のバックパッカーになって世界中を旅していくことになり、旅先で出会ったエジプトのビールが起業のきっかけとなります。

尾崎友俐さんは子供の頃から抱いてきた感性を失うことなく、またご自身が子供の頃から持っていた信念なども曲げることもなく、大切にされてきました。そうしたことが今日の尾崎友俐さんのビジネス、オリエンタルホールディングスにおける経営理念などに生かされていると言えるのではないでしょうか。

会社概要

社名:株式会社オリエンタルホールディングス(株式会社琉装)
所在地:沖縄県那覇市牧志3-8-30 国場陶芸ビル2階
設立:1995年(前身の会社)
代表:尾崎友俐(おざきゆり) 内藤大輔
事業内容:企業成長支援、女性のライフスタイル支援、直営店舗経営など
URL:http://www.oriental-japan.co.jp/