ジョブメディア

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坂本桃太郎(さかもとももたろう)氏 PPC型広告アフィリエイトで働き方が変わる!働き方を変える!

はじめに

誰もがPCから、スマホからインターネットにつなぐ時代です。広告もネット対応が必要な時代になっています。そうした中、個人でもネット広告事業を行える時代が来ています。その一つがアフィリエイトです。このアフィリエイトを副業にしておられる方は少なくありません。本業にしているという方もいらっしゃるほど、アフィリエイトはメジャーなビジネスになっています。

1979年生まれ、栃木県日光市出身で現在は香港在住のPPC型広告アフィリエイト専門家、坂本桃太郎(さかもとももたろう)さんはご自身でPPC型広告アフィリエイトをビジネスとして展開しているだけでなく、その手法を教えるビジネススクールも開講・運営しておられます。

ジョブメディアは坂本桃太郎さんが手掛けるビジネスの紹介、坂本桃太郎さんの人物像を浮き彫りにしていきます。

坂本桃太郎(さかもとももたろう)さんが手がけているのはPPC型広告アフィリエイト

さかもとももたろう(坂本桃太郎)

坂本桃太郎(さかもとももたろう)さんを紹介する前に坂本桃太郎さんが手がけているビジネスを紹介しましょう。坂本桃太郎さんはPPC型広告アフィリエイトという事業を行なっているほか、PPC型広告アフィリエイトというビジネスに挑戦しようと思っている人、そして坂本桃太郎さんのようにPPC型広告アフィリエイトのエキスパートを目指す人たちに対するスクールの運営やコンサルティングなどを行なっています。

PPCアフィリエイトとは?

PPC型広告アフィリエイトPPCは「ペイ・パー・クリック」つまり、PPC型というのはクリック課金型広告のことです。

坂本桃太郎さんによると、このアフィリエイトは「PPC型広告を出稿することによって、ユーザーのアクセス数を集め、アフィリエイトで広告費以上を稼ぐという手法がこの【PPC型広告アフィリエイト】です。Yahoo!ではPPC型広告が禁止されています。そのため、私の行なっているコンサルティングではGoogleにおけるPPC型広告アフィリエイトの手法、テクニックなどを紹介しています」ということでした。

「この手法はブログ記事不要、実績・経験0からでもできる新時代のアフィリエイトであり、これまでに350人以上にそのノウハウや手法を紹介してきました。現在も100人以上のコンサル生にPPC型広告アフィリエイトで稼ぐ方法を解説しています」(坂本桃太郎さん)。

坂本桃太郎(さかもとももたろう)さんはどんな人? 子供の頃は?

さて、坂本桃太郎(さかもとももたろう)さんとはどういった方なのでしょうか。坂本桃太郎さんの出身地は栃木県日光市。「日光は日光東照宮がある観光地であり、栃木県って言ってもピンとこない人が多いのですが、日光と言えば多くの方が知っているのでありがたいですね」(坂本桃太郎さん)。

坂本桃太郎

坂本桃太郎さんのお母さまは美容師で芸術家

坂本桃太郎さんは5人兄弟。両親は美容師をされているそうです。坂本桃太郎さんのお母さま、実はちょっと有名な方です。何度か新聞などの報道で取り上げられた方です。お母さまは坂本正子さんという美容師をやりながら絵を書いていらっしゃる芸術家です。今までにも数多くの賞を受賞していて国内、世界で認められていらっしゃいます。

「以前リオデジャネイロオリンピックの美術版があったのですが、そちらでも銀賞を受賞されています。「坂本正子 絵画」と調べて頂ければすぐに出てきます」と坂本桃太郎さん。

実際、検索すると、2019年に英国王立美術家協会の会員になったことや、フランスで行われた展覧会で奨励賞を受賞した記事などがでてきます。

 

mainichi.jp

 

坂本桃太郎さんはご両親の影響もあってなのか、子供の頃は美容師になりたいという漠然とした夢があったそうです。しかし、それは大人になるにつれてだんだん薄れていったといいます。「忙しそうに働いている両親を見ていて自分の子供には寂しい想いをさせたくないって思ったんです」(坂本桃太郎さん)。

坂本桃太郎(さかもとももたろう)さんはアパレル業界へ、そして香港へ

坂本桃太郎(さかもとももたろう)さんのご両親は美容師で、幼少期にご両親の仕事はとても忙しく、ご両親からの愛情を受け取っていないという感覚があったそうです。そのため、坂本桃太郎は反発して学校を休みがちだったといいます。

しかし、自分がやりたいことに関しては頑張っていたそうで、夏休みの宿題はPCを使ってプログラミングでゲームを作ったり、ファミコンに熱中して1日10時間以上やっていたりと好きな事への集中力は高かったそうです。そういうこともあって、ゲームを作りたいという夢もあったとか。

一つのことに集中して、コツコツと積み上げていくというところが、現在のアフィリエイトでコツコツ積み上げていくというところにもつながっているのではないかと、坂本桃太郎さんはご自身を分析していらっしゃいます。

坂本桃太郎さんはゲームとは全く異なる世界、業界へと進みます。坂本桃太郎さんは東京モード学園ファッションデザイン科を卒業後、株式会社フェイクデリック、現在のバロックジャパンリミテッドに就職します。フェイクデリック、バロックジャパンリミテッドといえばアパレル商品などの企画・製造から小売事業までを行う製造小売業(SPA)であり、東証一部上場企業です。社名は聞いたことがないかもしれませんが、同社が展開している人気ブランドのMOUSSYやAZUL by MOUSSYなどは聞いたことがあるのではないでしょうか。

坂本桃太郎(さかもとももたろう)

坂本桃太郎さんは半年間、香港駐在を経験した後、香港ローカルのOEMを行っている会社に転職されます。しかし、そこで自分の将来を考え、副業として、2005年からネットビジネスに参入していきます。そして、2009年にはついに独立されました。

坂本桃太郎(さかもとももたろう)さんは香港でアフィリエイト業界へ

さかもとももたろう

坂本桃太郎さんは24歳のとき、新卒で入社したファッションアパレルの会社、株式会社フェイクデリック、現在のバロックジャパンリミテッドで香港へ転勤・駐在の話をもらうことになります。香港という国際都市で働くという経験をした訳ですが、そこで「自分はもっと成長したい、成長に向けての行動を取ろう」と考えたそうです。そこで香港の企業に転職してみようと決心します。

坂本桃太郎さんはマカオの方が社長をされている、セーターのOEM生産をしている小さな会社の営業として勤めることになりました。同時に副業として、自分の本当につかみたいと考えている未来の為にアフィリエイトを始められます。このアフィリエイト事業が軌道に乗ります。その時期、坂本桃太郎さんが転職した先の香港のアパレル会社は存続できるかどうかの良くない状態になってしまっていました。そこで思い切って退職して、アフィリエイト事業を行う会社を立ち上げることになります。

坂本桃太郎さんがアフィリエイト事業を始めた理由

坂本桃太郎

アフィリエイト事業というのは時間が自由になります。それに加えて、一般的な会社員の稼ぐ給料レベルであれば、稼げる可能性が高いということがポイントだったんです」(坂本桃太郎さん)。坂本桃太郎さんは幼少期、忙しいご両親を見ていたことから、どこかで自由になる時間を求めておられたのかもしれません。

「20代で香港に移住したことや様々な経験から自信を生み出すことが出きて変わっていきました。今では、多くの人の可能性を生み出して生きる、自分の周りに幸せな人でいっぱいにするという事業をしている、そう思っています」(坂本桃太郎さん)。

坂本桃太郎(さかもとももたろう)さんのコンサルティングの参加者はどんな人たち?

坂本桃太郎

坂本桃太郎さんはアフィリエイトビジネスのコンサルティングも行なっています。一体どんな人が参加されているのでしょうか。坂本桃太郎さんによると、個人事業主、会社員のほか、主婦で挑戦しようと考え、参加されている人もいるそうです。割合は男性の方が圧倒的に多いということですが、女性も10%程度いらっしゃるとか。そのほとんどが副収入を目的として参加されているとのことでした。

しかし、なぜ参加者がこのPPCアフィリエイトに関心を持ち、挑戦しようと考えるのでしょうか。 坂本桃太郎さんによれば、「参加者がこのPPC型広告アフィリエイトに関心を持ったかということについては副収入を得ることができる方法の中でPPC型広告アフィリエイトは利益率が高いということ、自動収入になること、稼げるまでの期間が短いということなど、多くのメリットがあると見ているのではないでしょうか」ということでした。

まとめ

坂本桃太郎(さかもとももたろう)さんは幼少期、仕事で忙しかったご両親が自分に愛情を持っていないのではないかと思ったことがあったそうです。そういったことから、どこかで「家族のために自由な時間があれば」、と思ったのかもしれません。

アパレル業界にいらっしゃった坂本桃太郎さんは自由な時間のある生活、そして将来の豊かな生活を求めて、アフィリエイト事業に取り組み始めました。もちろん苦労もあったそうです。特にGoogleの規約変更では大変だったと語っておられました。

坂本桃太郎さんはご自身のFacebookInstagramで香港での日常生活を公開されています。そこでは坂本桃太郎さんが香港で「自由」な生活を楽しんでいる様子を見ることができるでしょう。坂本桃太郎さんはご自身と同様に「幸せな人でいっぱいにする」という目的を持って、コンサルティング活動にはますます力が入っているそうです。

会社概要

  • 事業者名:Advance Edge
  • 代表取締役社長:坂本桃太郎(さかもとももたろう)
  • 所在地:11F, 93 Bee Sing Mansion, Ma Tau Chung Road, To Kwa Wan, Kowloon, Hong Kong
  • 問い合わせ電話番号:85263416324

坂本桃太郎(さかもとももたろう)さんの関連リンク

株式会社YOSAとYOSAPARK(ヨサパーク) 製品を通して、健康と喜び、幸せを分かち合い、世界へ

はじめに

製品を通して、健康と喜び、幸せを分かち合い、世界へ広げていく-。この経営理念を掲げて事業展開しているのが、全身ハーバルトリートメントシステムで知られている「YOSA」の開発・販売、そしてサロン「YOSAPARK(ヨサパーク)」を運営している

馬面祐二氏は温めることにこだわり、発明に取り組んだ!

馬面祐二氏は「真の健康」を追い求め、そのための発明に取り組みました。国立研究開発法人科学技術振興機構JST)の運営する特許等の情報検索サイトで馬面祐二氏の発明について検索すると多くの取得特許を見ることができます。

洗面システム
発明者: 馬面 祐二, 藤原 昭信
公報種別:特許公報    出願番号:特願2012-232299    出願日:2012年10月19日

サウナ型全身美容促進器具
発明者: 馬面 祐二
公報種別:特許公報    出願番号:特願2004-092348    出願日:2004年03月26日

洗面システム、飲料水製造システム、フットバスシステム及びジェットバスシステム
発明者: 馬面 祐二, 藤原 昭信
公報種別:公開公報    出願番号:特願2012-232299    出願日:2012年10月19日

サウナ型全身美容促進器具
発明者: 馬面 祐二
公報種別:公開公報    出願番号:特願2004-092348    出願日:2004年03月26日

遠赤温水マットレス装置
発明者: 馬面 祐二
公報種別:公開公報    出願番号:特願2020-118614    出願日:2020年07月09日

微細水素水バブル生成器
発明者: 馬面 祐二
公報種別:特許公報    出願番号:特願2016-219215    出願日:2016年11月09日

微細水素水バブル生成器
発明者: 馬面 祐二
公報種別:公開公報    出願番号:特願2016-219215    出願日:2016年11月09日

JSTのJ-GLOBALで馬面祐二氏が発明者として登録されているのはこの7件の特許です。

YOSAのブランド確立で馬面祐二氏が果たした役割

馬面祐二

株式会社YOSAが今日のハーブリラクゼーションにおける確固たるブランド「YOSA」へと成長していった背景にはYOSAの創業者である馬面祐二氏が考案・開発した全身美容機器「YOSA」によるところが大きいといわれています。特許を取得した「サウナ型全身美容促進器具」のことです。

株式会社YOSAは企業理念に「こころとカラダに潤いを呼び戻し、皆さまに活き活きとした毎日を 過ごしていただくことが、YOSAの願い」を掲げています。

株式会社YOSAは全身美容機器以外にもさまざまな健康・美容機器の開発・販売を手掛けているほか、厳選した素材をブレンドしたハーブ、天然素材の健康食品や化粧品などで、多くの人々の健康と美容をサポートしているだけでなく、株式会社YOSAの製品によるリラクゼーションの時間・場所を提供するサロン「YOSAPARK(ヨサパーク)」を国内外に展開しています。

株式会社YOSAの経営トップでおられる馬面仙江代表取締役社長は「今後はYOSAのサロンであるYOSAPARKの活性化、ブランド力のさらなる強化に努め、応援してくださる皆さまの期待に応え続けられる、強い企業へと成長してゆくことが責務と考えています」と語っておられます。

代表取締役社長はYOSAPARKのブランド力強化に注力!

馬面仙江

株式会社YOSAの経営トップでおられる馬面仙江代表取締役社長は「今後はYOSAのサロンであるYOSAPARKの活性化、ブランド力のさらなる強化に努め、応援してくださる皆さまの期待に応え続けられる、強い企業へと成長してゆくことが責務と考えています」と語っておられます。

株式会社YOSAのこれまでの歩み

YOSAPARK

株式会社YOSAは1996年に設立されました。設立当初は健康寝具や乳酸菌含有健康補助食品など、健康関連商品を開発・販売する企業だったそうです。当時は東京に本社がありました。

YOSAが美容分野に乗り出したのは馬面祐二氏が2003年、全身美容促進器具機器「YOSA」開発・販売を始めたこと、そしてYOSA製品によるリラクゼーションサービスを提供するサロン「YOSAPARK」の開設・運営からです。2003年を契機にYOSAは美容機器、化粧品、健康食品を主力製品とする企業へと事業の転換が行われました。

 2008年、YOSAは大阪へ本社移転

2005年には研究開発部門とサロン「YOSAPARK」の運営を強化したほか、「YOSAハーブ」の医薬部外品認定取得、「バイオ化粧合板」の国土交通大臣認定を取得するなどさらに美容分野に力を入れました。そして、YOSAは2008年、大阪に本社を移転し、チタニウム・シリコン・カーボンの複合物である新素材、TSC素材を使った新製品「チタニウムエッジ」発売を発売します。

契機となった2010年の社長交代、馬面仙江社長時代へ

YOSAにとって、さらなる転機となったのが、2010年、馬面仙江代表取締役社長就任ではないでしょうか。翌2011年のサウナ型全身美容促進器具「YOSA」の特許取得、2012年の東京支社開設と水素水生成器「YOSA HYBELLE」シリーズの発売開始、2013年には大阪市西区に自社ビルを建て、本社を移転しました。その後も続々と新製品を開発・販売していき、2015年には社名を「株式会社YOSA」へと変更します。

本社の大阪移転から14年、社名変更から7年経った、2022年、株式会社YOSAは美と健康を追求するトータルブランドとして、成長し続けています。そして来年2023年は「YOSA」の開発20周年記念を迎えます。

YOSAと馬面仙江社長が取り組む社会貢献やSDGs

馬面仙江代表取締役社長は「人と人をつなぐビジネスには【感謝】の気持ちがなにより必要であることを学び、【ありがとう】と【健康家族】を合言葉に社会貢献を目指すようになった」とおっしゃられています。

スマイルベイビープロジェクト

ヨサパーク

その一つの例が社名変更した2015年から実施している「スマイルベイビープロジェクト」です。このプロジェクトはYOSA製品を販売しているYOSAPARKやYOSA倶楽部、そしてYOSAPARKを愛用している顧客、生まれてきてくれた一人一人の赤ちゃんに、感謝の気持ちを伝えるために、実施しているもの。YOSAは「子どもたちの輝く笑顔でますます明るい未来をつくってほしい」という願いの元、子育てをするお母さんへのエールを送り続けているそうです。

YOSAが取り組むSDGs

また、株式会社YOSAは人々の健康と美容に重点を置き、 SDGSにも賛同し、取り組んでいます。SDGsは「世界を変えるための17の目標」です。人生が100年時代となり、健康生活はますます重要になっているのはいうまでもありません。そこで、YOSAはSDGsが目標としている17の中で、「3.すべての人に健康と福祉を」「5.ジェンダー平等を実現しよう」「8.働きがいも経済成長も」「15.陸の豊かさも守ろう」の4つを実現するべく、活動しています。

また、YOSAは2018年の夏から、逗子海岸の美化運動を行なっています。この活動を通して、環境保全や人々の安心、健康と美をサポートしていくといいます。この海岸の清掃・美化活動はSDGsが目標としている「14.海の豊かさを守ろう」にもつながっています。

YOSAが運営するサロン「YOSAPARK(ヨサパーク)」

YOSAPARK(ヨサパーク)

YOSAブランドの機器・商品・サービスによってハーバルトリートメントシステムを提供しているのが、サロン「YOSAPARK(ヨサパーク)」です。国内260店舗、海外1店舗の計261店舗を展開しています。「YOSAPARK」は「体の中から美と健康を-YOSAPARKは美しくなるための全身ハーバルトリートメントシステム」であり、「体を温める」ということに重点を置いたサロンです。

まずカウンセリングを受け、次に保温・発汗効果を高める「YOSAウエア・テラウエア」に着替え、マッサージを受けます。次にYOSAオリジナルの、温かいミストをしっかり封じ込めるための「ケープ」を着用します。ミストを閉じ込めたら、「YOSAチェア」に楽な姿勢で座ります。45分から60分、温かいミストと水素を浴びて、身体を芯から温めていきます。

「YOSAPARK」では汗をかく爽快感、そして水素と、オリジナルハーブを使ったハーブミストの潤いを同時に体感することができるはずです。

YOSAはこんな人に向いている

YOSAはハーブの蒸気で身体を芯から温め、冷えが原因で起こるさまざまな悩みが緩和させ、新陳代謝の促進を図ることによって、ターンオーバーをスムーズにさせ、健康な身体を作っていく、美しい肌を作っていこうというものです。 YOSAによれば、YOSAのハーバルトリートメントシステムは次のような方に勧めたいということです。

  • 最近やせにくくなった
  • 女性特有の体のことをケアしたい
  • 健康的にやせたい
  • お肌の調子が気になる
  • 冷えで困っている
  • リバウンドを繰り返している
  • むくみが気になる
  • なんとなくだるい、最近疲れやすい

「一つでも当てはまる方は一度体験してみてください」(YOSA PARKスタッフ)。

YOSA製品は購入可能!

ヨサ

YOSAPARK(ヨサパーク)で使われている美と健康のための製品ラインアップはYOSAPARKやYOSA倶楽部で購入可能です。全身ハーバルトリートメントシステムを自宅で使えば、サロンと同様に身体を芯から温めることができます。

YOSAのオリジナルブレンドハーブとは?

YOSAで特徴的なのがオリジナルハーブではないでしょうか。YOSAPARK(ヨサパーク)で利用されているのは「ファインハーブ10種のブレンド」と「バーニングハーブ11種のブレンド」。どちらもYOSAが厳選した素材を独自にブレンドしたもので、医薬部外品のオリジナルハーブ。バーニングハーブの11種類を見ると、ケイヒ(クスノキかが)、トウキ(セリ科)、インチンコウ(キク科)、ウイキョウ(セリ科)、チョウジ(フトモモ科)、ビャクシ(セリ科)、センキョウ(セリ科)、ガイヨウ(キク科)、カミツレ(キク科)、チンビ(ミカン科)、トウヒ(ミカン科)がブレンドされているそうです。

オリジナルでブレンドされたYOSAのハーブの主な効能は荒れ性、肩のこり、神経症、しっしん、痔、冷え性、腰痛、リウマチ、疲労回復、産前産後の冷え性医薬部外品の認可を得た安心な入浴剤が使われています。

自宅でもできるYOSAの全身ハーバルトリートメント

水素生成機能がプラスされ、新開発素材を新たに起用したことによって、ハーブエキス抽出能力を格段にアップされた「YOSA ハイベーレクイーン」、YOSAPARKにあるものと同じ、近未来的なスタイリッシュボディで、PP(ポリプロピレン)樹脂を使用し「YOSA チェア(ver.5)」、高い保温性と低い透湿性を実現した「YOSAライトケープ」など、自宅でYOSAPARKと同じシステムを使えば、YOSAPARK同様のハーバルトリートメントが可能になります。

まとめ

人は誰もが、そして性別・世代に関わらず、「いつまでも健康で若々しくありたい、そして美しくありたい」と願っています。その願いに応えるべく、株式会社YOSAはYOSA、YOSA ウエア製品、TERA製品、チタニウムシリーズ製品、バスシリーズ製品、エア・シリーズ製品、スキンケアサポート製品、ヘルスサポート製品、ライフサポート製品など、さまざまな自社オリジナル製品の開発・販売し、YOSAPARKの運営を行なっています。

会社概要

社名:株式会社YOSA

創業:1996年(平成8年)7月7日

代表取締役社長:馬面 仙江

資本金:3,600万円

総販売店数:68,000店

従業員数:35名

本社所在地:〒550-0013 大阪市西区新町1-3-16

本社連絡先:tel.06-6533-0043 fax.06-6533-7770

支社所在地:〒101-0063 東京都千代田区神田淡路町2-23-1お茶の水センタービル1F

支社連絡先:tel.03-5295-0143 fax.03-6206-9779

物流センター:〒578-0956 大阪府東大阪市横枕西10-18

修理センター:〒578-0903 大阪府東大阪市今米1-15-7

取引銀行:三井住友銀行 麹町支店/SBJ銀行 大阪支店

主要取引先:田中丸商事株式会社/サンエス工業株式会社/株式会社ヤマダ薬研/株式会社明健舎/株式会社オーゾラ

主要事業:健康食品・栄養食品の卸及び販売/健康器具・衣料品・寝具の卸及び販売/化粧品・美容機器の卸及び販売/リラクゼーションサロンYOSAPARKの展開

公式サイト:

https://yosa.co.jp/

白澤伊幸さん 新しい時代のFIRE実現を権利収入への転換にはAIの活用も。

はじめに

【FIRE】という言葉で何を思い浮かべるでしょうか。「炎上」「燃える」「缶コーヒーのブランド」などを最初に思い浮かべるのが一般的です。【FIRE】は最近、別の意味で使われるようになり、注目されています。【FIRE】の読み方は「ファイア」ですが、「Financial Independence, Retire Early」、つまり経済的な自立と早期リタイアという英語の頭文字をとったものです。この【FIRE】はアメリカ発祥のムーブメントであり、日本でもこのFIREを目指し、実現している人が増えてきています。

「労働収入からの脱却、権利収入への転換によるFIRE実現」を掲げ、ワークショップを開催されているのが白澤伊幸さんです。

白澤伊幸(FIRE)

FIREとは?

FIREは経済的自立による早期リタイアです。これまで、このFIREを実現した人として話題になっていたのは大手企業の会社員でしょう。高収入の大手企業や外資系企業で寝る間も惜しんで働き、節約した生活を送ることによって、若いうちに貯蓄し、また貯蓄の一部を投資などで運用し、といったイメージがこれまでFIREを実現した人のイメージではないでしょうか。

しかし、大手企業の会社員でなくてもFIREは実現可能ではないでしょうか。しかし、多くの場合、生活を切り詰め、限界までの倹約をして、実現しているというパターンのようです。その場合、FIREするまで要する時間がかかってしまうでしょう。

FIREしても、その後の人生を楽しめる時間がどのくらいあるのでしょうか。そういった人に対して、白澤伊幸さんは「「労働収入からの脱却、権利収入への転換」をワークショップなどで訴え続けています。

白澤伊幸(FIRE)

白澤伊幸さんが主張する権利収入への転換

定年が延長となったことや、健康寿命が伸びて100年人生を考慮した老後の生活資金を蓄えるため、65歳以降、70歳までも働くのが当たり前になりつつあります。資金を蓄えるためには、生活していくためには収入が必要なのはいうまでもありません。その収入を得るための方法は大きく二つに分けることができます。

一般的には働いた対価として、収入を得る方法、つまり【労働収入】を思い浮かべるでしょう。普通の会社員は会社に出社して、あるいは在宅で業務をこなし、毎月給与として労働の対価となる収入を得ます。これが労働収入です。

一方、収入を得るための権利を保有することによって、収入を得る方法、これが【権利収入】となります。【権利収入】のわかりやすい例が保有する不動産を賃貸に出して、家賃収入を得ることでしょう。

この【権利収入】を得る方法がわかれば、【権利収入】を副業として、本業と合わせることによるFIREの実現が見えてくるのではないでしょうか。また、【権利収入】の部分が多くなっていけば、白澤伊幸さんが主張されている「労働収入から権利収入への実現」が可能になります。

白澤伊幸

白澤伊幸さんという人物について調べてみました

白澤伊幸さんは1989年山口県生まれです。早稲田大学教育学部を卒業し、起業家となられた方です。

学生時代の白澤伊幸さん

白澤伊幸さんは当初、教師を目指していたそうです。そこで、教育学部で国内トップクラスの大学・学部である早稲田大学教育学部社会科に進学しました。早稲田大学在学中、白澤伊幸さんは日本の教育システムに疑問を持ち始めたといいます。そこで抱いた思いというのが「自分が社会に出てトップ層と関わらないことには子供たちに社会というものを語ることはできない!」ということでした。

白澤伊幸さんは「教育者」になるのではなく、「起業家」「実業家」を目指すという道を模索し始めました。そこで何を学ぶべきか考えた白澤伊幸さんは既存の企業のビジネスを見ること、実際にビジネスをしてみるということでした。

大学2年生でになった白澤伊幸さんは、ITサービス会社で営業の仕事に挑戦します。この会社で年間営業売上4000万円突破という成績を残しました。

これだけの営業成績を残していますが、学校にもしっかり通い、講義を受けています。東証1部の上場で最年少の記録を作ったリブセンスの村上太一氏を輩出したことでも知られる、大和証券主催の「ベンチャー起業家養成基礎講座」など、起業に関する単位を多数取得したそうです。そして白澤伊幸さんは自身の会社を起業します。

白澤伊幸

現在の白澤伊幸さん

白澤伊幸さんは現在、中東のドバイに在住し、ドバイから日本国内・海外の企業を経営しており、アプリ開発、WEBコンサルティング、WEBスクールといった事業を展開しています。また、労働収入から権利収入への転換に向けたセミナーや講演などにも取り組んでおられます。

白澤伊幸さんのセミナーや講義内容は労働収入から権利収入への転換といったテーマだけにとどまらず、起業、経営を実践してきた経験、20代までに2000冊以上のビジネス書を読破してきたことから話す内容も好評を得ているそうです。

白澤伊幸さんの実業家としての顔

白澤伊幸(FIRE)

白澤伊幸さん

インターネットをビジネスに活用するのは当たり前の時代になっています。デジタル関連の市場は拡大の一途を辿っています。現代社会はデジタルテクノロジーによって、大きく進展しています。これからもその流れは続くでしょう。

そうした中、DXという言葉を耳にされることも多いのではないでしょうか。白澤伊幸さんが経営されている企業はいずれも、そのデジタルテクノロジーやインターネットに関わる企業です。

多くの企業はインターネットからの集客方法、ホームページから問い合わせをしてくる訪問者をいかにして新規顧客として取り込んでいったら良いのかという方法などについてなど、さまざまな問題・課題を抱えています。

白澤伊幸さんが経営されている会社では新たなセールステック導入に関するサービスの提供を行っています。セールステックは見込み客を集め、商品を自動で提案していく、デジタルテクノロジーを活用した新たなセールスの手法であり、このセールステックを中心に顧客に合わせた様々なソリューションサービスを提案しています。

また、変化のスピードが早いWebマーケティングフィンテック系事業にも取り組まれています。例えば、Webマーケティングでは顧客の企業にマッチした、リスティング広告facebook広告、twitter広告、サジェスト広告などの様々な広告プランを提案しています。さらにFintech事業ではITナレッジをシステムにリンクしていくというような提案も行なっています。

こうした総合ITナレッジを持った企業として、白澤伊幸さんが経営されている会社では多種多様なWEB関連サービスを提供しています。

白澤伊幸

白澤伊幸さんが【権利収入】への転換を主張する理由

多くの人の収入は会社で仕事をすることによって得られる「労働収入」です。しかし、白澤伊幸さんはこの「労働収入」は報われない構造だと語っています。 【権利収入】は「自分が働かなくても、権利を保有していることで継続的にお金が入ってくる」という稼ぎ方であり、労働する必要はありません。しかし、「労働せずに収入があるのは怪しい」と思う人もいるはずです。

【権利収入】は怪しいものではありません。不動産を賃貸に出して得られる家賃収入などはこの【権利収入】です。不動産投資はこの仕組みを利用したものです。

白澤伊幸さんは「多くの人は権利収入は怪しいなどと考え、従来型の労働収入の方が確実だとして、動き出しません。あるいは権利収入を得るということは難しいなどと考えている方も多いようです。しかし、まずご自身で動き出すことから始めなければ、何も変わりません」といいます。

白澤伊幸さんは「権利収入を得るためのビジネスはスマートフォン1台あればできるビジネスもある。ビジネス経験がない、初心者であっても簡単に権利収入を獲得を目指せる」「ネットワークやアフィリエイトではなく、投資の配当システムでもない」と語ります。この権利収入を得るためのシステムは白澤伊幸さんが開催しているワークショップでのみ、紹介しているそうです。「FIRE実現をスピードアップさせるため、ワークショップに参加される方にはまず、この権利収入に無理やりでも取り組んでいただいています」(白澤伊幸さん)。

白澤伊幸さんが開催されているワークショップはFIRE早期実現に向けたマインドセットの場、自己啓発の場にもなっているといえるでしょう。

AIのフル活用もFIRE達成までに重要

白澤伊幸さんは権利収入についてのカギに一つとなるのが、デジタルコンテンツだといいます。コンテンツ制作に重要なのがAIなどのデジタルテクノロジーのフル活用なのだそうです。

ChatGPTをはじめとするAIを応用した新たなツールが登場してきています。2022年11月に公開された、高度なAI技術により人間のように自然な会話ができるAIチャットサービスのChatGPTによって生成された文章品質の高さが報道やSNSなどで大きな話題となりました。

デジタルテクノロジーを活用した新たなセールスの手法のセールステックを中心に顧客に合わせた様々なソリューションサービスを提案し、事業を拡大してきた白澤伊幸さんはこのChatGPTをはじめとするAIテクノロジーに早くから注目し、デジタルコンテンツの制作に生かすことで、自身の手がけるさまざまなビジネスのスピードアップが見込めると、応用を進めてこられました。

白澤伊幸さんのFIREを目指すためセミナーではFIREを目指すためのマインドセット自己啓発といったことだけではなく、こうした最先端のAIを活用したデジタルコンテンツの作成についてなども解説しているそうです。

白澤伊幸さんはシンガポールからドバイへ

白澤伊幸さんは日本でデジタル関連のビジネスを起業し、成長させ、事業を拡大し、シンガポールへ移住しました。現在はシンガポールからさらにドバイへと移住しています。

こう聞くと白澤伊幸さんは【FIRE】したのか、と思うのは当然です。しかし、白澤伊幸さんは【FIRE】していません。いつでもできるのですが、引退せずに 「労働収入から脱却したい」そして「権利収入の獲得を目指したい」、そういう人たちにワークショップで手法を解説・提案するなど、精力的に活動されています。

白澤伊幸 (FIRE)

ドバイでの生活も満喫されている白澤伊幸さん

まとめ

白澤伊幸さんは労働収入から脱却し、権利収入を獲得することで豊かな生活を築き上げるべき、と提案しています。白澤伊幸さんによるとFIREを少しでも早く実現するためにはマインドセット自己啓発の場が必要であること、そして権利収入を得ることが重要だといいます。白澤伊幸さんはすでに権利収入でFIREすることができます。しかし、引退することなく、今もワークショップや講演で、FIREを目指す人々に惜しげもなく、権利収入を得るための手法、その全てを教え続けています。

それは白澤伊幸さんがかつて「人を育成する」教育者を目指していたこと、教えることに生きがいを感じているから、なのかもしれません。 

新藤英理子医師 あなたの理想の美を叶えるために!安心して受けられる美容治療を提供

はじめに

「満足してもらえる結果を出しながらも、患者さまが受けやすい価格で美容治療を提供できるクリニック」という目標、そして「あなたの理想の美を叶える美容クリニックを追求します」を事業方針に掲げ、2020年に開業されたのが東京エビスクリニック。開業から参画しているのが新藤英理子医師です。

東京エビスクリニックには患者さんが安心して美容医療を受けてもらえるよう、10年以上の経験を持つ習熟した医師のみが在籍。新藤英理子医師をはじめ、在籍している美容外科医あ日々、患者さんの理想の美を追求しています。

ジョブメディアの取材班は東京エビスクリニックに務める新藤英理子に現在の美容医療について、東京エビスクリニックについてなどのお話しをうかがいました。

東京エビスクリニックの新藤英理子医師とは?

恵比寿 代官山 中目黒 | 東京エビスクリニック | 美容外科 美容皮膚科

新藤英理子医師のこれまでの経歴などをご紹介しましょう。新藤英理子医師は私立の小、中、高に通ったのち、2006年、医学部を卒業されました。医師になることは子供の頃からの夢で、困っている人を助けることができるなんて凄い、と漠然と憧れ、小学生の作文にも書いていたそうです。

新藤英理子医師は人見知りするタイプだったそうですが、仲良くなると深く付き合う性格で、小、中、高、大と学生時代の友達は今でも頼れる存在になっているとか。

医学部を卒業して医師としてのキャリアをスタートした新藤英理子医師は2010年から大手美容クリニックに勤務されました。その後、2012年に大手美容クリニック分院院長、2016年には美容クリニックの院長と美容医療分野での経験を積まれています。

新藤英理子医師はなぜ東京エビスクリニックに参画したのか?

東京エビスクリニック」の新着タグ記事一覧|note ――つくる、つながる、とどける。

美容医療に携わり、キャリアを積み重ねていく中、新藤英理子医師が東京エビスクリニック立ち上げに参画したのは理想のクリニックを追求するためだったそうです。

それまでに勤務していた美容クリニックでは雇用されているクリニックのオーナーの意向やクリニックの方針に沿わなければならないということ。しかし、その意向や方針はクリニックにとってコストパフォーマンスが良く、リスクの少ない美容医療だけになってしまうのではないか、それが果たして患者さんの希望や期待に応えているのか、と新藤英理子医師は疑問を持ったそうです。

新藤英理子医師はそこで開業を決心し、2020年3月、「満足してもらえる結果を出しながらも、患者さまが受けやすい価格で美容治療を提供できるクリニック」を理想像として掲げ、東京エビスクリニックをスタートしました。

新藤英理子医師と東京エビスクリニックによる美容医療は

症例 | 東京エビスクリニック | ホットペッパービューティー

新藤英理子医師は東京エビスクリニックで豊胸手術脂肪吸引、たるみ取り、目元の手術、鼻の手術、唇、顎、リフト、さらには輪郭の悩み、美肌などにも応えるメニューなど、美容医療全般を行っておられます。

新藤英理子医師によると、患者さんから要望が多く、人気となっている東京エビスクリニックの美容医療メニューは切開による美容外科。もちろん、東京エビスクリニックではそのほかの美容医療も全般的に行っており、プチ注射やシミ取りレーザーといった治療のほか、ダウンタイムが少ないたるみの治療も好評だそうです。

東京エビスクリニックの切開リフト

東京エビスクリニックの美容外科手術の中でも切開リフトが人気となっていると新藤英理子医師に伺いました。「切開リフトをしっかりとやる医師が日本では少なくなっており、縮小傾向にあったんです。そうした中、私たち東京エビスクリニックでは海外で行われるようなしっかりとした切開リフト手術を提供してきたことで人気につながったようです」(新藤英理子)。

美容皮膚科メニューも評判の東京エビスクリニック

美容外科治療がメインのクリニックとして知られている東京エビスクリニックですが、現在、力を入れて取り組んでいるのが、毛穴、シミ、たるみ、ニキビ、小じわ、ほくろ、美白など悩みが多い分野をカバーする美容皮膚科治療のメニュー。

新藤英理子医師によると、リフトアップや目元のたるみ治療を切開で行っても、10年後に老化してしまうことは避けられないそうです。たるむ前に予防的に治療を行うことが大切だとか。「東京エビスクリニックではレーザー治療で予防治療を行っていいます。糸リフトやHIFUもたるみ予防のメニューです」(新藤英理子医師)。美容皮膚科に関しては研究や機械の開発も進化の一途を辿っており、今後もより良い機械を採用していきたいと考えておられるそうです。

新藤英理子医師が開業・開院を思い立ったのはなぜ?

-新藤英理子さんがご自身が関わる形で東京エビスクリニックを開業されたのはなぜでしょうか

新藤英理子医師「自分たちが行なっている美容医療は患者さんが本当に求めているものなのか、期待や希望に応えているのか、という疑問を常に持ち続けていました。しかし、雇われているという立場ではオーナーの意向やクリニックの方針に沿わなければならないために、リスクを避けた手術しか提供できないというジレンマに陥りました。また、クリニックにとってコストパフォーマンスが良く、リスクの少ないものを販売しなければならないことも多々ありました。そのため、自分にとって理想のクリニックは自分で作るしかないと考え、開業に至りました。開業するにあたってはしっかりとした結果を出しながらも、患者様に受けていただきやすい価格で美容治療を提供したい、という理想を掲げました」

-開業されたことでより患者さんに寄り添えるようになったとか

新藤英理子医師「患者様としっかりと話す時間が増えました。コミュニケーションは大切ですよね。おかげさまで信頼関係も築きやすく、結果としてご紹介の方も多くなりました。美容皮膚科治療についても東京エビスクリニックでは他院では行っていないような美容外科手術も、それが患者さまにとって良いものであり、結果が出せるものであれば、お引き受けしています」

-東京エビスクリニックを経営する立場となって、大切にしていることは?

新藤英理子医師「スタッフ一人一人の対応が、患者さまにご満足いただくためには需要であり、大切なことだと考えております。経営者として、スタッフが働いていることに喜びを得られるようにすることによって、スタッフが心からの笑顔を患者さまにお見せできるようになると思っております。そのためには開業以来、気が付くことがあるたび、改善を行ってきております。スタッフからも信頼され、忙しいけど、ここで働いていてよかったと思ってもらえるよう、職場の円滑な人間関係、個別の能力に合わせた適切な仕事量、指導を行っていきたいと考えております」

-東京エビスクリニックの強みは豊富な症例経験だそうですね

新藤英理子医師「症例経験が豊富なことは当院の強みです。当院は美容外科歴10年以上の医師が在籍し、診療を行っております。二重のお悩みでは1㎜違うことは結果を大きく左右しますし、患者様のご希望の形も異なります。その他、脂肪吸引豊胸手術なども症例経験豊富な医師だからこそ、結果が出せるものだと思います。一つの例をあげると、私ども東京エビスクリニックで一番人気のあるフェイスリフトは大手クリニックでも週に1件くらいのことが多いのですが、当院では1日2件行われることがあります。院長を始め、私ども東京エビスクリニックの医師は現状に満足することなく日々精進しており、症例報告も欠かさず行っています」

まとめ

東京エビスクリニックは開業から2年が経っています。患者さんとしっかりと話す時間も増えたことで、信頼関係が築きやすく、また、紹介されてくる患者さんも増えているそうです。アフターフォローや術前の患者さんの不安を少しでも取り除けるようスタッフの皆さん、他の医師の方々と協力し、東京エビスクリニック、そして新藤英理子医師は全力でサポートを行っておられます。

「受けやすい価格で受けられる美容治療の提供」を理想、そして目標として掲げて、新藤英理子医師らが設立した東京エビスクリニックは2年間で豊富な症例を蓄積してきました。これは多くの患者さんから東京エビスクリニック、新藤英理子医師ほか経験豊富な医師による治療、スタッフの対応などが患者さんから信頼を得られてきたからだと言えるのではないでしょうか。

東京エビスクリニック概要

診察科目:美容外科・美容皮膚科・麻酔科
院長:照屋 智
住所:東京都渋谷区恵比寿西 1-10-7 MMSビル8F
アクセス:恵比寿駅1分、代官山駅7分、中目黒駅13分
受付時間:10:00〜19:00
定休日:不定
URL:https://tokyo-ebisu.clinic/

 

プレミアムモバイルクラブ 生活が安心・安全に、そして快適・楽しく!

はじめに

携帯電話が登場して、私たちの生活は大きく変わりました。どこからでもインターネットにつながることになって、困ったことがあれば、いつでもどこからでもインターネットを使って調べられるようになりました。今や、携帯電話やスマートフォンなどのモバイル端末の世帯保有率は9割を超えています。その中でも、スマートフォンの普及は8割以上の世帯で保有しているという結果になっています。モバイル機器なしでの生活は考えられないようになってきていると言えるのではないでしょうか。

そうした中、モバイル機器をもっと便利に、安全に、安心して利用できるサービスが登場しています。それがプレミアムウォーター株式会社が提供しているプレミアムモバイルクラブ(PMC)です。このプレミアムモバイルクラブがどんなサービスを提供しているのか、提供しているプレミアムウォーター株式会社がどんな会社なのかを探ってみます。

プレミアムモバイルクラブとは?

プレミアムモバイルクラブ

プレミアムモバイルクラブはプレミアムウォーター株式会社が付帯サービスとして展開しているコンテンツ事業です。元々はエフエルシーイノベーション株式会社というプレミアムウォーター株式会社のグループ企業が提供していたサービスだったのですが、エフエルシーイノベーション株式会社がプレミアムウォーター株式会社と合併されたため、現在はプレミアムウォーター株式会社が運営するサービスとなりました。

プレミアムモバイルクラブは「ベネフットステーション」「トラブル駆けつけサポート」「PMCホームドクター」「オプションサービス」というサービスで構成されています。

プレミアムモバイルクラブが提供しているサービスは?

プレミアムモバイルクラブ

プレミアムモバイルクラブはプレミアムウォーター株式会社が付帯サービスとして提供している事業です。

プレミアムモバイルクラブは携帯電話やスマートフォンタブレット端末を通じて様々なサービスを提供しています。プレミアムモバイルクラブが提供しているサービスは携帯電話やスマートフォンタブレット、パソコンといったモバイル機器をより便利に、そして安心に、安全に使えるようにしてくれるサービスが用意されています。具体的にどんなサービスメニューを用意しているのかをご紹介しましょう。

提供されるサービスはプレミアムモバイルクラブに申し込む際、登録されたモバイル端末がパソコン(PC)なのか、アンドロイド(Android)OSのスマートフォンか、あるいはiPhoneiPadといったiOSのモバイル機器なのかによって、異なってきます。

もちろん、PC、AndroidiOS、全てのモバイル機器に共通するサービスもあります。例えば、モバイル機器は外に持ち出して使うので、どんなに大切に使っていても、壊してしまったり、失くしてしまったりというようなことが発生する恐れがあります。そういったときに安心できるのがプレミアムモバイルクラブの「お見舞金サービス」「PMCモバイル補償」「PMC安心サポート」でしょう。

「お見舞金サービス」は対象となるデバイスが故障・紛失・水没した際や盗難にあった際に最大5万円のお見舞金を受け取れるというサービスです。また、「PMCモバイル補償」は使っているWi-Fi接続機器が故障した場合、最大5万円まで補償してくれます。一方、「PMC安心サポート」も加入しておくと安心なサービスだと言えます。

NTT DocomoauSoftbankのキャリア保証に加入されているなら、携帯のデータカード/フィーチャーフォン/スマートフォン(iPhone含む)/iPadで有償修理が発生した場合、その代金をプレミアムモバイルクラブが負担してくれるサービスです。このオプションサービスには盗難紛失割引保証も付いています。

プレミアムモバイルクラブはネットワークセキュリティーも安心

最近、個人情報の流出も問題になっています。そこで重要なのがネットワークセキュリティーです。多くのセキュリティソフトが市場に流通していますが、その中で群を抜いて処理速度が速く、またスキャン時のメモリー使用量が少なく、動作が軽いという特徴を持っている「セキュアエニウェアインターネットセキュリティプラス」というサービスが、プレミアムモバイルクラブで提供されています。iOSの端末にインストールするセキュアブラウザ(マルウェアやフィッシング対策を講じた安心して使えるWEBブラウザ)に加え、PC3台までソフトウェアをインストールすることが可能です。

このほか、セキュリティー関連オプションには「カスペルスキーセキュリティ」と、Webページやスマートフォンアプリ、ゲームなどに表示される広告を非表示にできる「AdGuard」がセットになったサービスの「PMCセキュリティパック」があり、好評なオプションサービスとなっているそうです。このパックを導入していれば、ウイルス対策、危険なWebサイトへのアクセス防止、ネット決済時の保護など、インターネットを安全に使うことができるでしょう。

モバイル機器周りのサービスだけではありません

プレミアムモバイルクラブが提供しているサービスはモバイル機器関連のものだけではありません。生活に密着した、生活を便利に快適にするサービスも提供されています。

「PMC 相談カルテ」では弁護士や税理士等の国家資格を有する専門家が、身内にはちょっと相談できないような「仕事」や「プライベート」での悩みごとを、チャットや電話で相談できます。また、鍵の紛失やパソコンの故障など日常生活の急なトラブルに専門スタッフが訪問して対応するサービスもあります。さらにはモバイル機器が破損や水漏れなどで故障した場合の動産総合保険もついています。

生活密着型のサービスで一番多くの人が使いそうなものが「ベネフットステーション」ではないでしょうか。ショッピングからグルメ、育児に到るまでの幅広い分野で日常生活をサポートしてくれます。どこに連絡したら良いのか困るカギやガラスの急なトラブル、電気や水道のトラブルなどの困りごとを解決してくれるのが「トラブル駆けつけサポート」です。このサービスも便利なことから好評を得ているそうです。

健康関連ではユーザーの健康状態を可視化して、データとして管理することができるサービス「PMCホームドクター」があります。体重や歩数、食事、血圧、血糖、基礎体温などを毎日登録することで、健康維持をサポートしてくれます。

プレミアムウォーターのプレミアムモバイルクラブはそのモバイルコンテンツを通じて、トータルで日常生活をサポートしてくれるサービスだと言えるのではないでしょうか。

プレミアムモバイルクラブは天然水サーバーのプレミアムウォーターが運営!

プレミアムウォーター株式会社

携帯電話やスマートフォンを介して、人々の日常生活を全般的にサポートするサービスを提供しているこのプレミアムモバイルクラブ(PMC)を運営・提供しているのはプレミアムウォーター株式会社という企業。もしかすると「天然水のウォーターサーバー」で聞いたことがあるのではないでしょうか。

プレミアムウォーター株式会社はウォーターサーバーでは高いシェアを誇っていることで知られています。東京都渋谷区に本社を置く飲料水などの製造を行っている企業で、ウォーターサーバーのレンタルと天然水を定期配送するサービスを主要事業としています。光通信連結子会社で、持株会社プレミアムウォーターホールディングスの完全子会社となっています。

美味しい、そして安全な天然水を提供しているウォーターサーバー関連事業と同様に、プレミアムウォーター株式会社はプレミアムモバイルクラブを通じて人々の日常生活に安心・安全・快適性をもたらしています。

まとめ

プレミアムモバイルクラブはウォーターサーバー業界大手のプレミアムウォーターが提供している付帯サービスです。プレミアムウォーターが宅配サービスで多くの人々に提供している天然水と同様で安全・安心、加えて快適が特徴のサービスだといえます。プレミアムモバイルクラブに加入したいという場合、携帯電話の新規契約手続きや機種変更手続きの際にも加入することが可能です。

プレミアムモバイルクラブが提供しているサービスはモバイル機器向けから日常生活向けまで多岐に渡ります。どれを選んだらよいかわからない、という人はプレミアムモバイルクラブのウェブサイトにある「よくある質問」でそれぞれのサービスについての内容詳細を紹介されているのでチェックしてみてはいかがでしょうか。

会社概要

社名:プレミアムウォーター株式会社
所在地:東京都渋谷区神宮前1-23-26 神宮前123ビル5F
設立:2016年4月
代表:金本彰彦
事業内容:ミネラルウォーター等の飲料水の製造及び販売
URL:http://premium-mc.jp/

 

オリエンタルホールディングス 尾崎友俐(尾崎ゆり)さん 起業家の原点は子供の頃に!

はじめに

自社グループの飲食店経営のほか、経営コンサルティング、企業や商品、サービスの各種プロモーション、ブランドプロデュース、飲食店のプロデュース、さらには女性のライフスタイル改革を支援するための異業種交流会や起業塾を運営するなど、幅広い分野の事業を手がけているオリエンタルホールディングスです。

オリエンタルホールディングスの経営トップに立っているのが、今回のジョブメディアでご紹介する尾崎友俐さんです。尾崎友俐さんのお名前を聞いたことがある、覚えている、そういう方も多いのではないでしょうか。そうです。尾崎友俐さんは日本テレビで放送されていた人気の投資バラエティー番組「マネーの虎」の「飲食の虎」でレギュラー出演されていました。

今回の取材では尾崎友俐さんが起業家となる原点が子供の頃にあったというお話を聞くことができました。

尾崎友俐さんとオリエンタルホールディングス

尾崎友俐/尾崎ゆり

尾崎友俐/尾崎ゆり

今回、ご紹介するのは尾崎友俐さん、そして尾崎友俐さん代表取締役を務める株式会社オリエンタルホールディングスです。

尾崎友俐さんがオリエンタルホールディングスの前身の会社を設立したのは旅先のエジプトで出会った有名な銘柄の「STELLA」を輸入・販売したかったからだといいます。エジプトはビール発祥の地です。

バックパッカーとして世界中を旅していた尾崎友俐さんは訪れていたエジプトで、「ピラミッド建造時、パンとニンニクとビールが労働の対価だった」という話を聞きます。ピラミットが建造された時代からエジプトにはビールがあったのです。「この素晴らしい歴史のあるエジプトのビールを日本に広めたい!」、そういう思いから、ビールの輸入会社を立ち上げたいと思ったのだそうです。

しかし、ビールを輸入し、販売するためには酒類販売許可免許が必要であり、免許を取るためには2期連続の黒字決算が必要です。そこで、尾崎友俐さんはオリエンタルホールディングスの前身の会社を1995年に設立します。そこで行ったのはエジプトのビールではなく、エジプトの無農薬上質ハーブの輸入、そして炭火焼肉店の経営でした。

この起業はどちらも尾崎友俐さんの「エジプトのビールを輸入し、日本で広める」という夢の実現に必要なことでした。エジプトからハーブを輸入したことでビールのインポーターになるためのノウハウなどを得られたからです。そして、1998年、尾崎友俐さんはビール発祥地、エジプトから「STELLA」の輸入を開始することになります。

事業の全てが順調だった訳ではありません。2001年には狂牛病が発生し、社会問題になります。この時には企業による牛肉偽装事件の発生も相次ぎ、畜産業や精肉店といった食肉関連産業、食品加工業、さらには外食産業、スーパーマーケットなどの流通業、そして一般消費者までも巻き込み、食の安全が問われました。

狂牛病問題の影響は何の罪もない尾崎友俐さんの炭火焼肉店にも襲いかかってきました。焼肉店の経営が困難に追い込まれていきます。しかし、そこで尾崎友俐さんは3日間という非常に短い日数で焼肉店を焼き鳥店などへ業態変換します。この尾崎友俐さんの迅速で大胆な決断は経営判断を行う成功例として、多くのメディアで紹介されました。

その後、尾崎友俐さんは事業を拡大していき、女性起業塾や異業種交流会を立ち上げるなど、女性起業家の後継者育成にも取り組まれています。また、尾崎友俐さんは無料有料の会員合計が約5万人という団体、一般財団法人日本ファスティング協会の理事長にも就任。会員の方々とダイエットや体質改善に向き合っておられるそうです。

現在のオリエンタルホールディングス

2022年1月、尾崎友俐さんが経営されているオリエンタルホールディングスがドバイに支店を開設。経営コンサルタント、健康と食品のコンサルタント、そして旅行観光業のコンサルタントといったライセンスを取得しています。

ドバイはアラブ首長国連邦を構成する7カ国の首長国の一つ。アラビア半島ペルシア湾に面した、中東地域の真ん中にあります。きれいな海に美しい砂浜、巨大ショッピングセンター、そして世界一高い超高層ビルのブルジュハリファなど、観光地としてのドバイに注目が高まっています。尾崎友俐さん、そして、オリエンタルホールディングスにはドバイと日本を繋ぐ架け橋としての役割に期待が高まっているといえるでしょう。

また、オリエンタルホールディングスは直営飲食店の経営や健康食品などの製造・販売も手がけています。

オリエンタルホールディングスが沖縄で経営しているしゃぶしゃぶ店、ステーキ店などの飲食店は、個性あふれる高級な空間を創り、世界中から訪れるVIP客が満足出来る様、厳選の食材を提供する特別な店として知られており、世界各地からの顧客が毎年訪れる名店です。

またオリエンタルホールディングスは高品質の酵素ドリンクをOEMで製造・販売しています。この酵素ドリンクは沖縄原産の材料を主原料とし、1ヶ月以上も発酵させる最上級品として製造されているそうです。

さて、その尾崎友俐さんにお話をうかがうことができました。

尾崎友俐さんに直撃

尾崎友俐/尾崎ゆり

尾崎友俐/尾崎ゆり

オリエンタルホールディングスを率いる尾崎友俐さんに学生時代のことなどをうかがいました。

尾崎友俐さんの子供のころはどんなお子さんだったのでしょうか

尾崎友俐さん「2つ下の弟がいるのですが、弟というものは私にとって”完全な子分”だと思っていました。そして、私はいつもお山の大将になっていたと記憶しています」

-印象に残っている幼少期のエピソードはありますか

尾崎友俐さん「おぼっちゃま、お嬢ちゃまであった両親の元に生まれたので、所謂お受験を小学校入学からさせられました。でも、都内屈指の有名私立小学校のお受験にはことごとく失敗しました。なぜなら、元気いっぱい過ぎたからと、先生の言うことを聞かない子だったからではと思います」

-元気いっぱい過ぎと言いますと

尾崎友俐さん「入学試験の中で、虎や象の絵が壁に貼ってあり、それを的にバスケットボールを当てる、という適正検査がありました。他の子たちは次々にその虎や象などの絵に向かってボールを投げつけました。私はといえば、虎や象やキリンなどの動物たちを的にして、ボールを当てると言ったことにどうしても抵抗を感じ、壁に貼ってあったその紙を剥がしてしまったのです」

-それでは検査にならないですよね

尾崎友俐さん「現代なら多様性や子供を尊重する流れなどもありますから学校側の対処も違ってくるとは思います。しかし、当時は右向け右、先生の言うことに従順な子が評価されていた時代でした。子供の個性は必要なく、どちらかというと個性は蓋で抑えて、“みんな揃っておんなじ”という教育が行われていていた時代だとも言えますよね」

-ところでその尾崎友俐さんの行為は反抗心からだったのでしょうか

尾崎友俐さん「反抗心ではなかったのです。動物が好きで的にすることができなかったのです。その自分の意見を主張するための行為だったと思うのです。こういう子供だったので、両親や先生は手を焼いていたかもしれませんね」

-子供の頃の尾崎友俐さんについてもっと聞かせていただけませんか

尾崎友俐さん「周りの子たちからは冒険好きだと思われていたようです。毎日数キロ歩いて冒険していましたし。隣町のプールに行くとか、知らない街の公園に行くとか、川に行くとか、知らない事を知りたいという好奇心で一杯の子でしたよ」

-ご両親は知っていらっしゃったんですよね

尾崎友俐さん「ピアノや学習塾などに通わされていのですが、実はいつも嘘を言ってさぼっていました。決められた時間に決められた場所にいくということが本当に嫌で嫌でたまらなかったんです」

-その様子だと学校でも色々あったのでは

尾崎友俐さん「ありましたね。学校ではクラス委員が先生の言いつけを守ってクラス内の監視をするようなことが多々あったんですが、ことごとく反抗していました。その多くが間違っていることだと思ったからです。間違っていると思うなら、間違っている、と声に出さなきゃって思ったんです。そういう子供でしたから、損をすることも多かったと思います。でも損を損だと思いませんでした。信念を曲げる方が苦痛だったんです」

-子供の頃に関心があったのはどんなことですか

尾崎友俐さん「親からの独立でした。親の庇護のもとに居る限り、自由が手に入らないって思っていましたから。今はすっかり自分の人生を楽しく歩んでいる両親ですが、当時は自分たちの理想を押し付けてきました。世間体を気にして、私をお嬢様に育てたいとがんじがらめに縛り付けていたんです。でも、そういう道を歩みませんでした」

-それでは目指す将来の職業もやっぱり違いますよね、お嬢様とは

尾崎友俐さん「当時の友人たちはこぞって“医者になりたい”とか”消防士になりたい”とか “学校の先生になりたい”、それから、“お嫁さんになりたい!”っていうのもあったり。目の前にある職業に対して“なりたい”と言っていたんですよね、みんな。でも、私にはそれに対して抵抗感がありました。目の前に転がっている職種のどれかに自分を当てはめなければならないのか!?と、自問自答する日々でした。しかし、その時は答えが全く見つかりませんでした・漠然とですが、誰かに雇われるのは嫌だと思っていました。枠の中に閉じ込められたくない、そういう恐怖心がありました」    

-しかし、その頃に感じてきたことは間違っていなかったから今の尾崎友俐さんがあるといえるのでは

尾崎友俐さん「今回、取材していただき、子供の頃を思い出してみる機会に恵まれたわけですが、あらためて振り返ってみると、子供の頃の自分の感性は間違っていなかったのだと確信が持てました。その一方で、羽ばたき足りないのでは?とも感じました。色々と違和感を感じつつも、社会に合わせて生きてしまったのだなと。もっと自由に羽ばたいていたのなら、いったいどんな人生を歩んでいたのだろうと思いました。日本の教育というものはいかに社会に合わせる人材を育てているかということが確信できました。もしも過去の自分に戻ってやり直せるのなら、義務教育を受けずに自由に生きていたら、一体どうなっていただろうと思いました」

まとめ

尾崎友俐さんにお話をうかがいました。尾崎友俐さんは16歳でバイクの免許を取り、東京から岡山や島根や北海道をはじめ、全国をバイクで駆け巡ったそうです。尾崎友俐さんの旅はその後のバックパッカーになって世界中を旅していくことになり、旅先で出会ったエジプトのビールが起業のきっかけとなります。

尾崎友俐さんは子供の頃から抱いてきた感性を失うことなく、またご自身が子供の頃から持っていた信念なども曲げることもなく、大切にされてきました。そうしたことが今日の尾崎友俐さんのビジネス、オリエンタルホールディングスにおける経営理念などに生かされていると言えるのではないでしょうか。

会社概要

社名:株式会社オリエンタルホールディングス(株式会社琉装)
所在地:沖縄県那覇市牧志3-8-30 国場陶芸ビル2階
設立:1995年(前身の会社)
代表:尾崎友俐(おざきゆり) 内藤大輔
事業内容:企業成長支援、女性のライフスタイル支援、直営店舗経営など
URL:http://www.oriental-japan.co.jp/

生方茂樹とグローバルアセットパートナーズのストーリー!独自インタビューしました。

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現在のように低い金利では、普通に貯蓄をしているだけでは、老後の必要資金を貯めていくことはなかなか厳しいです。

 

そのため、投資が注目されています。

 

今回は、投資助言業を行うグローバルアセットパートナーズの代表、生方茂樹氏にインタビューしました。

 

どのようなきっかけで会社を起ち上げたのでしょうか?

過去に運用会社で、 投資信託の運用者(ファンド・マネジャー)の経験が有り、運用が上手く行って 利益を出して、投資家の皆様に感謝された経験がありました。 皆さんから感謝される運用のアドバイスを行いたい。

 

会社を経営していて、これまで一番大変だった出来事はどのような事でしたか?

運用のアドバイスを行う仕事は、非常に難しく 金融庁:関東財務局様より 難しい 書類や面接があり、その面接が非常に難しく 取るために6か月程度の時間が掛かりました。 現在では、一般に人は ほとんど取れなくなっています。

 

貴社の強みについて教えてください。

金融庁様:関東財務局様より、 投資助言業の登録を頂き、毎年の事業の報告も関東財務局に提出し、認可を受けております。これは、非常に厳しく ネットで記載されているような 会社では、全くありません。

 

会社を経営していくにあたり特に心がけている事などありましたら教えてください。

お客様の信用と運用の利益拡大を第一に考えております。 お客様からのクレームなどもほとんどありません。

 

今後のビジョンについて教えてください。

今後は、株式の投資助言業、株式のセミナー、自動売買ソフトの開発を行う方針です。

 

会社概要

社名:株式会社グローバルアセットパートナーズ

所在地:さいたま市浦和区北浦和3-8-4 シンセリティ102号

設立:2007年10月31日

資本金:10,000,000円

代表:生方茂樹

従業員数:5名(アルバイトを含む)

事業内容:投資助言事業、出版・販売事業、投資教育事業

URL:http://www.grobal-ap.com/